■土倉 恒 (とぐら つね) 博愛の医師

 

 

【経歴】

明治23年 笠岡市山口父克己母幾衛の長女として誕生。

明治29年 新山尋常高等小学校入学

明治37年 岡山県立第一女学校入学

明治41年 東京女子医学校入学

大正 8年 新宿で内科・小児科医院を開業

昭和33年 日本女医会の理事就任

昭和37年 紺綬褒章を受章。

昭和41年 日本女医会副会長就任 

昭和51年 笠岡に帰郷

昭和52年 死去 87才

 

【郷土への主な寄付】

昭和37年 恒心体育館建設費 

昭和43年 土倉記念館建設費 

昭和51年 地元各種団体へ     

昭和52年 土倉記念館基金   

昭和60年 土倉賞を制定


 生家

※地域の人々が利用

土倉記念館

現在は自治会が管理


顕彰碑

学校を見下ろす丘に眠る

恒心体育館

碑文

今ノ世勤倹蓄ヘテ産ヲナスハ難シサレドナホ難キハコノ辛苦ノ財ヲ意義ヲ計リテ投ズルニアリ言ハンヤ粒々繊手ニナレル結実ヲ惜ムナク挙ゲテ郷土ノ用ニ捧グルア`我ガ女史土倉恒先生ノ如キ思フニコレヲナセル稀ナル人カ

先生明治二十三年十一月五日ヲ以テコノ地ニ生ル土倉ガ家祖モト小田村ニ住シ近郷ノ名家ナリ祖父治部右衛門ノ代旧山口村里長ヲ欠クノ故迎ヘラレテ村治ヲ掌リ居ヲ今ノ地ニ定ム翁ハ後数村ヲ兼ル大庄屋明治ニ入リ新山村長令名一世ニ高シソノ嗣克己継ギテ治政ニ殖産ニソノ績ヲ輝カスコレ先生ガ厳父ナリ 先生幼ヨリ聡明新山小学校ヲ卒フルヤ県立岡山女学校ニ進ムコレダニ当時ノ女子ニ例稀ナリシナランモ更ニ東都ニ出デ`東京女医学校ノ門ニ入ルケダシ父君ガ果サザリン医師タルノ素顔ヲ遂ゲントスルモノナラン時ニ明治四十一年ナリ数歳後学成リ留リテ医業ヲ四谷荒木町ニ開カル爾来コ`ニ六十年仁慈以テ患ヲ治シ病ヲ癒シ貧ヲ隔テズ酬ヲ貧ラズソノ恩恵救恤ニ浴スル者マタ幾許ゾヤ先生性温良誠実世ニ交リテ懇篤区民ノ敬仰ヲウケマタ日本女医会理事副会長トシテ斯界ニ貢献セラル更ニ特記スベキハ先生身ヲ持スル極メテ質実簡素節倹ヲ旨トシテ自ラ家事ニ当タル訪ル`者為ニ顧ミテ己ニ恥ヅト云フサレド心吝カナルニ非ズ新山地区公ノ業ヲ興ス毎ニソノ真ニ浄キ尊キ財ノ許多ヲ寄セラル`コト幾度母校新山小学校恒心体育館コノ資ニ基キソノ名ヲ留ム地区民共励ノ場タル土倉記念館マタソノ篤志ニヨルソノ他新吉中学校体育館建設等々ノ寄付皆乞ニ応ジ郷党後進ノ教育福祉ノ為ニセラル 昭和五十一年先生高齢八十有五故山ニ老ヲ養ハント八月生家ニ帰ラルコノ時マタ各方面ニ多額ノ芳志ヲモタラサルコ`ニ先生ガ高徳ヲ慕ヒ恩恵ヲ蒙ル者相寄リテ会ヲ結ビ先生ガ人トナリト業績と篤行トヲ表サントシ碑ヲ建テ石陰ニ次第ヲ刻シテ後生ニ伝ヘントス。

昭和五十二年八月(中山正英撰)